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2015-03-27

VOICE #5:片山真理さん

USER'S VOICE 片山真理さん

―アートへの目覚めはどんな風でしたか?

(足の病気の為に)子供服というのがほとんど着られなかったんです。柔らかい素材だったり、ぴちっとしすぎていたり、小さかったりするので。そのために、母が手縫いや、ミシンで、(自分の体にあった)ドレスやズボンを全部作ってくれて。入院した時にギプスのための、特殊なパンツとかも作ってくれて。そういった環境で育ったので、それ(母の姿)を見ていたら、必然的に、鉛筆で絵を描くというよりも、先に針を持って、お裁縫をするというのがスタートでした。母はお裁縫で洋服作り、祖母は人形作り、祖父は水墨画をやっていて、ちゃんと分かるものをみんな作っていたのですが、その頃から私は、「これ何?」というようなものをずっと作っていて。今でいうオブジェみたいな、なんかよくわからないものを作っていて、それを大事に大事に、宝物のようにしていて、それを20年くらいやり続けていて(笑)気がついたら、自分がアーティストとしてやっていたという・・・アートをやろうと思って作品を作っていたというよりは、作っていった先に、アートというジャンルがあったというのが簡単な説明かな。

―どんな家庭環境だったのでしょうか。

こういう活動をしているので、取材の際などに、自分の体についてどう思われますか、とか、境遇は、とか聞かれるんですが、そのたびに思い出すのが、母は、足がないことで、(何かが)できないということに、あなたは障碍者だから、というようなことは一度も言ったことがなくて、「こういう状況だったらこうすればいいじゃん」というようにすごくシンプルで、単純で、しかもネガティブじゃなくて、(障碍も)一つの要素だと思って、楽しく考えようという家庭だったので、楽しい幼少期を過ごしていました。

―恐そうな方というイメージあったのですが、お話しすると全然違いますね。

(ポートレート作品などのイメージから)もう(こちらが)キレる体(てい)で話されることが多いので、「いやキレないから、怒らないし、全然神経質じゃないんですよ」って言ってももう(恐そうなイメージが先行して)そういう人だという体でみなさん話されて、すごく怯えてるんですよ。いたって普通の人間で、ちょっと意地悪なところがあるくらいですかね。ネガティブな要素としては。

―東京藝大大学院を目指されたのはどのような経緯で?

アートに生きる人たちからは殴られそうなことなのかもしれないのですが、大学を出た時に、実は県女(群馬県立女子大)の院に行くことが決まっていたんですよ。その時は論文で入ろうと思っていて、高校も商業高校で、情報処理の勉強をしていて、プログラミングとか、情報リテラシーとか、情報化社会というテーマに興味を持っていて、大学院でもそれを深めたいと思っていたんです。制作とか美術というよりは、(情報化社会というテーマの中で)アーキテクチャー・環境管理型権力とか(インターネット社会研究者の)レッシグとか、今とは全然違う方向に行きたかったんです。あえて。でも、ちょうど大学を出る前、1月くらいに急に祖父がガンで亡くなってしまうということがあって、ひと月くらいで病状が早くすすんでしまって亡くなってしまうのですが、入院して一週間くらいの時に、元気付けようと思って、「おじいちゃん、日本で一番の大学院をうけるから、東大と藝大とどっちがいい?」と聞いたんです。祖父は、真理はやればできる子なんだと、いつも褒めてくれた人だったので、そのノリで、受けてやる、受かってやる、みたいに、聞いたんです。そうしたら、「お前はアートとか美術が好きそうだから、藝大がいいんじゃないか」って。で、「わかった、わかった。」って言って、ちょうど上野で若冲の展示をやっていたので、それを見にいったついでに藝大の願書をもらいに行って。一週間くらいで書いて、出したら受かっちゃって。それで、行った・・・という。

―今のセルフポートレートという表現にたどり着いたのは?

SNS世代なので、(作ったものを)写メやデジカメで撮ってネットにアップしていたんです。でも今ひとつ良さが伝わらないなと感じていて。こんなにフワフワしているんだよ、とか、こんなにキラキラしてるとか、こんなにでっかいんだよ、とかが伝わらないと思って、自分がマネキンの代わりにその中に入り込んで、クッションだったらクッションを抱いたり、洋服みたいなものだったら身につけたり、その方が具体的でわかりやすいんじゃないかと思って。最初は、webにアップするというのは(自分の作品の)アーカイブのためにやっていたんです。2歳の妹にデジカメのここをずっと押していて、って頼んで300連写くらい撮った中からいいのを選んでトリミングして、作品としてアップするという感じでやっていたんです。で、それを見た人から、撮らせてほしい、モデルをやってほしいと頼まれるようになって、新作を作ったのでそれを持って行っていいですか、と、(作った)作品を持って(写真に撮ってもらいに)東京に出かけて行くじゃないですか。そうすると、彼らは、(私の作った)作品ではなく、私を撮りたかったんですね。(持っている作品は写っていなかったりするので)これは違うんじゃないか、と思って、自分で撮るしかないと、写真の勉強を始めました。

USER'S VOICE 片山真理さん

―写真に対する考え方を教えてください。

大学院に入った時に、私の作品は、生活だとか空気感などの、環境というものを写しだす写真だとしたら、フィルムで撮るということを学んでみたら、と研究室の先生が教えてくださって、大学院2年の時にフィルムで撮る勉強をして、中判カメラで撮るようになったという感じです。でも、その場で撮って、そこにあるものが、物理的に他の物質に写っている、ということでは、確かにコンセプト的にあっているのかもしれないけれど、私自身は写真にそんなにこだわっていないので、デジカメでもいいし、iPhoneでもいいし、いい写真は変わらないと思っているので、基本的には自分のカメラはあまり持たないで、人に借りたり、レンタルしたり、協賛でいただいたりしています。

―現在、竪町スタジオで制作活動をされていますが、竪町スタジオについて聞かせてください。

本当にありがたかったです。私の制作形態が、家にこもって、いろんな素材や手法で作る感じなので、アトリエを借りるというほどではないんですね。場所を借りるというのは大きいことじゃないですか。アトリエを欲しいと思うことはなかったんですけど、この竪町スタジオを見せられて、何やってもいいんだよと言われて、何をすればいいの、こんなところで、って最初思ったんですが、去年の10月にいざ滞在してみたら、あれもできる、これもできるという感じで、自分の中で、環境要因でできないと思っていたことができるということがわかったし、ここがガラス張りというのが、良かれ悪しかれ、特性のある素材なので、(外から人が)見てくれたり、絡んでくれたりするんですね。人見知りなのと、地方のコミュニティに入る難しさもあったんですが、最初のきっかけとして、ガラス張りの中、見世物状態で始めたことで(興味をもってくれた人たちが)なになに、ってきてくれたおかげで、打ち解けられた、ということもありますね。

―滞在制作で学んだことについて教えて下さい。

(自分の中には)女優をやったり、講演会をやったり、歌を歌ったり、人と関わりたい、という意識もあるんですが、それと真逆の、できれば一人にしておいてくれ、という意識もあって、そこのスイッチを入れるのはやはり自分しかいないんです。その(スイッチの)使い方を学びましたね。結構最初の10月の頃に(その切り替えがうまくいかずに)疲れちゃって。いい顔しいなので・・・(笑)。それでもすごくいい作品ができたので、おかげさまで、個展にそれを出品したりできて。(スイッチの切り替えを)自分でコントロールする以外ないんだなという勉強になりましたね。

―アートと街の関係性についてどう考えますか?

本当にいろいろ感じました。先ほど、アーティストになりたくてアーティストになったわけではないと言いましたけど、でもアーティストでよかった、と思いましたね。街に住んでいる人だったり、街でお店をやっている人、学生さん、主婦、ちゃんと(役割が)決まっちゃってる、アーティストもアーティストと決まってはいるんだけど、でも実はどこでもいけるんですね。アーティストというだけで、固まった関係でないというか、どっかとどっかの間を行き来できるような立場にいるんだと思ったら、心が楽になって。世の中っていろんなしがらみがあると思うんですが、アートってそこを柔らかくしたり、つなげたりするすごくいいツールであると思うんです。アーティストによっては、アートをツールにするな、美術は美術だって人もいると思うんですが、でもうまく利用して人を生きやすくできるかもしれないし、なにかのきっかけがうまれるかもしれないし、そういうことをやってるんだなと思ったら、自分がアーティストという立場でよかった、ってここに来て思いました。

―今後の目標、活動計画について教えて下さい。

10月におばあちゃんたちの歌声喫茶に参加していたんです。いまはなくなっちゃった国際交流広場で。今はまちなかサロンでやっていますが、あの歌声喫茶を、どうしてもアーツ前橋でやって欲しいと思っていて。若い人もいますが、おばあちゃんたちが、アコーディオンを伴奏に歌っている姿というのは、すごいんですよ。ミサみたいになってて。エネルギーやばいって感じなんです。参加して歌っていると(私でさえ)最後の方は息が続かなくなっちゃうくらい、すごい(声量)んですよ。えー歌ってるー、みんな!という感じで、あれをアーツでやったら絶対面白いと思うので、それをなんとか実現したいですね。
作家としては、海外進出も含め、ゆっくり2年間安心して制作できる環境を作ろうというのが、今、重点的にかんがえていることですね。それは、このスタジオに滞在したきっかけが大きいですね。

―今後は活動の拠点を群馬に移されるそうですが。

群馬にいた20数年間は、自分でアーティストだって言えなかったんですよね。東京に来て、アーティストですって言わないと、立場がないという状況に初めて陥ったので。群馬にいるときは、なるべく自分がそういうことをやっているというのは隠して隠して、インターネットには出してるけど、普段は学生ですって体もあったりしたから。だから、なるべくここから逃げ出したいってずっと思ってたんですけど、アーティストとして群馬に来たら、こんなに制作しやすかったか、と。ジョフル本田はあるし、(前橋の)まちを歩けばアートを愛する人がたくさん歩いているし、ここ二・三年のことですが、道を歩けばアーティストにぶつかるというくらい、アーティストもたくさん歩いている。みんなああだよ、こうだよと紹介もしてくれるので、頭も回転するし、ほんとうに、ちゃんと群馬に住もう、戻ってこようと思っています。

片山真理さんプロフィール

VOICE #5:片山真理さん

群馬県生まれ。東京藝術大学大学院卒業。少女時代をモチーフにした親密なオブジェや、セルフポートレートなどの制作を軸に、女優や、歌手としてなど、幅広い表現分野で活躍中。

VOICE #5:インタビュー完全版(13min)

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USER’S VOICEは、前橋のまちなかのさまざまな場所で活躍されている方に、その場所の使い方や、前橋での文化を発信していくことなどについてお聞きするインタビューシリーズです。インタビュアーはステージコミッショナーの藤橋 誠、毎月一回不定期更新で配信予定です。

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