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2014-11-21

VOICE #2:小野田 藍さん

USER'S VOICE 小野田 藍さん

―前橋で育ったとの事ですが、どんな子供時代をすごしていましたか?

子供の頃は、団地の広場や公民館の庭のようなところで遊んでいました。野球をやっていたので、そういったところで壁に向かってボールを投げて練習しているのが好きでした。ピッチャーになりたかったんです。小学校3年のときに野球チームに入りましたが、高学年にならないと試合に出られないし、外野をやるのも面白くなかったので、いったんチームを辞めて、一人で練習していたんです。結構うまくなってきたので6年生になってから、これならピッチャーができるな、とチームに入りなおしました。

―絵を描くことを子供の頃から意識していましたか?

小学校の2年生くらいまでは絵がうまかったんです。でも3年くらいからスポーツの方に関心が移って、また、すぐにおちゃらけちゃう子供だったので、写生大会とか行ってもおちゃらけちゃって、集中できないんです(笑)。2年生くらいまでは一生懸命描いて、金賞をもらったこともあるんですけど。(アートに興味をもつようになったきっかけは)絵からはいったということは、間違いなく、ない、ですね。

―アートに目覚めたのはいつ頃からですか?

中学まではまったく興味がなかったです。高校生くらいからでしょうか。最初は不純な動機で、他の友達よりもカッコよく見せたいというような気持ちで、図書館にあった哲学の本とか、ちょっと難しい本を読むようになったのが、(アートに入っていく)きっかけになったと思います。

―絵画や彫刻でないところからアートに入っていったというのはユニークでしたね。

父が現代美術の作家だったので、アートは絵画や彫刻や映像作品といったものでなくても媒体や素材や形式は、まったく限られていないものだ、ということが、高校生くらいの段階から無意識に刷り込まれていたんだと思います。それで、絵が描けないということを負い目に感じることもなく、というか、負い目に感じるかどうかということさえ意識にないような感じでしたね。もしかしたら、それがいい意味での勘違いだったのかもしれません。

―それから、美大に入っていくわけですが、そこでどんなことを考えましたか。

大学に入って、本当に絵が上手なやつとかが、全国から来ているわけです。他の美大に知り合いもできたりして、本当に凄い圧倒的な才能のある人とかもちらほらいて、すごいなあ、世界は広いなあ、と思いましたね。そんな中で、自分に何ができるのか。(美術の世界は)本当に狭い世界というか、狭き門で。美術を続けていくというのは本当に大変なことで、才能のある人の中でも一握りの人だけが続けられるということを理解していたし、その中で自分がどういう振る舞いで行ったらその中にいられるのか、というようなことを考えましたね。というか、いまも考えていますね。

―アートナウジャパンという作品をずっと続けられていますが、それはどんなきっかけで?

前から、アートとは関係なく、藁半紙に手書きで、エッセイみたいなものを、バーっと書いて、印刷して友達に見せる、みたいなことをやっていたんです。面白おかしく、出会ったことや人のことなどを書いていた。それがアートだとはその時は思っていなかったんですが、自分は絵や彫刻をやっていこうとは特に思っていなかったので、いままでやってきた手書きでなんか書くみたいなアートができないかなあと思っていたんです。そしたら、ある日父に、「それならそれに、アートのことを書いてみたらいいだろう。友達の作家や手伝っているアーティストの批評みたいなことでも」と、ふと言われて、自分も「それいいな」と思って。アイディアは父にもらったんです。自分がアートに興味を持ったときに、前橋で活動していたアーティストの白川さんがいて、最初のアートの入り口が自分にとっては白川さんだったんですが、白川さんが若い時に「現代美術序説」という本を書いていて、それが全部手書きで書かれていたんです。それを知って「かっこいいな」と思って。自分もこういうのがやりたいと思って、そのままそれをやっているという・・(笑)

USER'S VOICE 小野田 藍さん

―webで発信するのが当たり前の時代に、手書きで発信する意味はどういうことでしょうか?

ya-gins(前橋の中心市街地にあるアートセンター)に置いてもらったり、お会いした人に手渡しで、「こんなことをやってます」って名刺代わりに渡したりしているんですが、その程度ですね。あまりいろんな人に知られてしまうと希薄になってしまうというか、情報が薄まって広がってしまっていくような感じで、特に戦略ということではないんですが、お会いした方に、直接見せたり、手渡しで渡していると、「これ知ってる」とか「見たことある」とかいうレスポンスが直接返ってくる。それが嬉しい。インターネットで見せちゃうとそういうのがなくなってしまうような気がして。自分が直接見聞きできる範囲のなかでのやりとりというか、そういうのを大事にしたいんですよね。単純に自分が嬉しいという気持ちを続けたいがために、特にインターネットに出したりはしていないんですが、今後はわからないですけどね。

―自分の喜びというあたりをもう少し説明していただけますか?

(自分の喜びという言葉を使いましたが)自分だけの喜びを得たいとか、そういうことではまったくないんです。逆に、他人の喜びが自分の喜びって感じなんです。人が喜んでいるのが嬉しいっていうとなんだかすごくいい人みたいですけど、そういうわけでもなくて、人本位というか、「これを見せたらみんな喜ぶだろうな」とか「みんなびっくりするだろうな」とか。それがうれしいというか。自分は特にないというか。

―前橋の街についてはどう感じていますか?

この間、群馬テレビで「前橋まつり」のことをやっていて、お神輿をかついでいる人たちや、だんべえ踊りをやっている人たちの映像が流れて、そういうのを見ると、これは変わっていないな、と思って。街はかれらのものなのかなと思って。今でこそアーツ前橋ができて文化的な活動のための建物ができ、イベントがたくさん行われるようになって、文化的なおしゃれな感じが出てきて、自分もそれに関わったりもしていますが、たまにお祭りとかを見ると、どっちが街の本当の姿なんだろうと考えて、あっち(祭)の方かな、という気がするんです。やっぱり続いているものだし。(そういう存在を)逆に僕たちはいつも考えているというか、考えながらというか、意識していないといけないかな、と。(文化・芸術的な)クールなものと(お祭りのような)熱いものがそこに共存している。どちらかに偏るのでなく、その両者が存在していくことは変わらないのではないか、と考えています。

―このアーツ桑町について教えて下さい。

アーツ桑町はアーツ前橋が、市民の活動のために作った場所ですが、団体で登録しないと使えないんですね。そこで、美術部という団体を作って、個人で展示などをしたい方に、美術部に入ってもらうことで個人でも使えるように便宜上作った団体なんです。そして、有志で一階をホワイトキューブ化して展示しやすいように改装しました。12月や1月に学生の方の展示の企画もあり、ちらほらとここを使いたいという人たちが出てきています。それも美術部を作った効果なのかなと感じています。

―前橋で、今後どのようにやっていきたいですか。

自分は美大をでて、美術の勉強をしてきた人間なので、いまの前橋の状況が、(アーティストにとっては)とても恵まれていると感じます。きれいな美術館ができ、自分の好きな現代アートも扱っていて、自分の好きな白川さんの個展もあったし、開館展も面白かったし。でも恵まれているからこそ、その環境に自分が押しつぶされないようにしなければ、と考えています。

―今日はどうもありがとうございました。

小野田 藍さんプロフィール

VOICE #2:小野田 藍さん

1988年前橋市生まれ、同市在住
武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科卒業。
2012年より『アートナウ・ジャパン―日本のアーティスト100人』という
全文手書きの批評文からなるフリーペーパーを個人で制作している(現在も継続中)。

VOICE #2:インタビュー完全版(14min)

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USER’S VOICEは、前橋のまちなかのさまざまな場所で活躍されている方に、その場所の使い方や、前橋での文化を発信していくことなどについてお聞きするインタビューシリーズです。インタビュアーはステージコミッショナーの藤橋 誠、毎月一回不定期更新で配信予定です。

■これまでのVOICE■

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小野田藍さん #2
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